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江戸時代のノンアルコール飲料──甘酒は"夏の栄養ドリンク"だった

  • 7月9日
  • 読了時間: 4分

「あま酒の 地獄もちかし 箱根山」


与謝蕪村の句です。「地獄」とは箱根の大涌谷・小涌谷のこと。険しい箱根路を越える旅人が、湯気の立つ地獄の景色を眺めながら、もうすぐ名物の甘酒にありつけると励まされる。そんな情景を詠んだ一句です。


甘酒といえば、初詣や雛祭りに温かくして飲むもの。この句も冬に読まれたのかな?

そう思う人もいるかもしれません―ところが俳句の世界では、甘酒は夏の季語なのです。

江戸時代のノンアルコール飲料──甘酒は"夏の栄養ドリンク"だった
甘酒は夏の飲み物だった

歳時記を開くと、甘酒は「三夏(旧暦における夏で、初夏・仲夏・晩夏のこと)」の季語として載っています。そこから派生した、子季語には「一夜酒」「醴」「甘酒売」といった言葉が並びます。


江戸時代には暑気を散じるものとして夏に好んで飲まれた、と説明されています。


蕪村だけではありません。小林一茶も「一夜酒隣の子迄来たりけり」と詠み、松尾芭蕉の一番弟子とも言われた其角も甘酒を句に残しています。


江戸を代表する俳人たちが、こぞって甘酒を詠んでいる。それだけ甘酒が生活に根付いていたということです。


なぜ夏なのか。答えは、江戸の夏の過酷さにあります。

冷蔵庫もスポーツドリンクもない江戸の夏

クーラーも冷蔵庫もない江戸時代、夏の暑さは今よりずっと直接的に命に関わりました。


夏場は死亡率が高く、暑さで体調を崩す人が絶えなかったといいます。


そこで飲まれたのが甘酒でした。米麹でつくる甘酒には、ブドウ糖・アミノ酸・ビタミン類が豊富に含まれます。汗で失われる水分と、消耗した体力を同時に補える。まさに現代でいう経口補水液とエネルギードリンクを兼ねたような存在です。


「飲む点滴」という現代の呼び名は、江戸の人々の実感をそのまま言い当てているとも言えます。


そして甘酒は、天秤棒を担いだ「甘酒売り」が町中を売り歩いていました。


江戸後期の風俗誌『守貞謾稿』には、江戸では四季を通じて売られ一杯八文、京坂では夏の夜のみ売られ一杯六文だったと記されています。当時のかけそばが十六文だったことから換算すると、甘酒一杯はおよそ二百円前後だったと推計されます。庶民が気軽に手を伸ばせる価格です。

幕府お墨付きの健康飲料

興味深いのは、この甘酒に幕府が関与していたとされることです。


歴史学者の磯田道史氏によれば、幕府は甘酒の価格に上限を設け、庶民が安く買えるようにしていたといいます。


夏バテによる健康被害を抑えるための、いわば公衆衛生政策としての価格統制です。


栄養価の高い飲み物を、庶民の手に届く値段で―現代の感覚でいえば、行政がスポーツドリンクの価格を抑制しているようなものです。


甘酒は単なる嗜好品ではなく、江戸の夏を生き延びるためのインフラだったと言えるかもしれません。

甘酒は"ノンアルコール"だったのか

ここで一つ確認しておきたいことがあります。甘酒は「酒」という字を含みますが、アルコール飲料なのでしょうか。


甘酒には二種類あります。


米と米麹でつくる麹甘酒は、米のデンプンを麹の酵素が糖に変えたもの。アルコール発酵を経ないため、アルコールを含みません。


一方、日本酒の製造過程で生まれる酒粕を溶いた酒粕甘酒には、微量のアルコールが残ります。


そして俳句の季語となり、江戸の夏を支えたのは、麹甘酒だったと考えられています。つまり江戸の人々が炎天下に飲んでいたのは、アルコールを含まない発酵飲料でした。


「酒」と名がつきながら、酔わない。それどころか、酔いから回復するために飲まれることさえありました。武家の文献には「悪酔い防止に甘酒を飲め」と記したものもあると伝えられています。

"飲まない"文化は、最近の話ではない

ノンアルコール飲料は現代のトレンドのように語られます。


健康志向、ソバーキュリアス、ウェルビーイング。確かにここ十年ほどで市場は急速に広がりました。


けれど視点を三百年前に戻せば、日本にはすでに「アルコールに頼らずに、発酵の恵みを味わう」という飲み物文化がありました。


夏の盛りに湯気の立つ甘酒を飲み、体を立て直し、また炎天下を歩き出す。俳人たちはその一杯を句に詠み、幕府はその価格を守った。


蕪村が箱根山で見た甘酒は、旅人の体を支える一杯であり、同時に句に詠むだけの情緒を持った飲み物でもありました。


飲まないことを選ぶ。あるいは、飲めないなりに味わいを楽しむ。その営みは、決して新しいものではないのです。


参考資料

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